「社長がいなくなったら、値決め、僕にできるでしょうか」
「なんだ、急に」
「だって、社長はいつも勘で決めますよね。その勘、どうやって教わればいいのか」
「勘と言われてもなあ……。まあ、経験だよ、としか言いようがないんだ」
「経験だよ」の中身を、取り出せるか
この連載の山場に来ました。
ここまで見てきたことを、一言でまとめれば、こうなります。
値決めの判断は、ベテランの頭の中にある。ですが本人も、それを言葉にできない。
この「言葉にできない知識」のことを、専門的には暗黙知と呼びます。
自転車の乗り方を言葉で説明できないのと同じで、体で覚えた判断は、頭では説明しづらい。ベテランの「経験だよ」は、その典型です。
問題は、言葉にできない知識は、引き継げないことにあります。
マニュアルに書けない。研修で教えられない。そして本人が去れば、消える。
多くの中小企業が抱える、静かで深刻な課題です。
では、この「経験だよ」を、どうやって取り出すのか。
今回は、その具体的な進め方を見ていきます。
取り出しは、四つの段階で進む
頭の中にある知識を、組織みんなの財産に変える。
この道のりは、四つの状態を順に移っていくイメージで捉えると分かりやすいです。
出発点は、頭の中にある状態。ベテランの中に、言葉にならないまま眠っています。
次に、それを言葉にする。「経験だよ」を、一つずつ問いで掘り起こし、判断の理由を言葉に変えていく。
言葉になったら、今度は筋道に整える。「こういう条件なら、こう考える」という順序立ったルールにします。
そして最後に、みんなが使えるようにする。
実際に他の人が使い、現場に根づいて、はじめて知識は個人のものから組織のものになります。

頭の中 → 言葉 → 筋道 → みんなのもの。
この四つの移り目のうち、最も重く、これまで誰も手をつけられなかったのが、最初の一歩。
つまり「頭の中にあるものを、言葉にする」ところです。
そして、まさにここで、AIが力を発揮します。
AIは、根気のいる「聞き役」になる
「言葉にする」作業の正体は、ひたすら問いを重ねることです。
- 「なぜ、その値段にしたのですか」
- 「そのとき、何を見て判断しましたか」
- 「もし条件がこう違っていたら、値段は変わりましたか」
この問いを、辛抱強く、何十回も繰り返します。
これを人間同士でやるのは、実は難しいものです。
聞く側も専門知識が要りますし、ベテランも、同じことを何度も掘り返されると、だんだん気詰まりになる。「そこまで細かく聞くのか」と。
だから、途中で終わってしまいます。
AIは、この聞き役を、根気よく務められます。
ベテランが語ったことを受けて、「では、その場合はどうですか」と、自然に次の問いを返す。相手が疲れて中断しても、また続きから再開できる。
感情的な気詰まりが生まれません。
この「気兼ねなく、何度でも掘れる」性質が、重かった作業を、現実的なものに変えます。
そしてAIは、聞き出しながら、同時に整理もします。
ばらばらに語られたエピソードから、「この人は、緊急度・代替の有無・関係の深さ、という三つを見て判断しているようだ」と、判断の構造を浮かび上がらせる。
「言葉にする」と「筋道に整える」を、地続きで進めてくれます。
「経験」という一言に畳み込まれていたものを、一枚ずつ開いていく。AIは、その開き役だ。
取り出すのはAI、語るのは人
ここで、順番を取り違えないでください。
AIが、ベテランの判断を勝手に作り出すわけではありません。
知恵の源泉は、あくまでベテランの中にある。AIは、それを引き出し、整理する助けをするだけです。
だから、この作業には、ベテラン本人の協力が欠かせません。
そして、しばしば見落とされますが、当のベテランにとっても、この作業には意味があります。
自分でも言葉にできていなかった判断が形になっていく過程は、自分の仕事の価値を、あらためて確かめる時間にもなる。
取り出すことは、奪うことではありません。むしろ、その人の熟練に、あらためて光を当てることです。
こうして、頭の中にあった判断が、言葉になり、筋道になりました。
ですが、まだ最後の一段が残っています。
取り出した型を、誰でも同じ品質で使えるようにすること。
次は、その仕上げの話です。
次回(第8回)は、「誰がやっても同じ品質で見積もれる、型のつくりかた」。取り出した判断を、見積もりや提案の実務にどう落とし込むか。AIが、型を動かす道具になる場面を見ていきます。