「3万円の商品が、実は3万5千円から値引きされてる。そう聞くと、急にお得に見えてくる」
「でも、払う金額は同じ3万円ですよね」
「そう。同じなのに、感じ方が変わる。人間って、そういうものなんだ」
人は、値段を「正しく」見ていない
ここまで4回かけて、値決めの水面下にある四つの判断を見てきました。
原価、相場、支払い意思、立ち位置。そのすべてが、ある一つの前提の上に立っていました。「人は、値段を合理的に判断する」という前提です。
今回、その前提を疑います。結論から言えば、人は値段を合理的には見ていません。これは私の感想ではなく、行動経済学という分野が、長年の研究で示してきたことです。
いくつか、身近な例を挙げてみます。どれも、あなた自身が「やられた」経験があるはずです。
わかっていても、引っかかる
一つ目、最初に見た数字に引きずられる。(パターン1)
冒頭の例がそれです。
先に「3万5千円」を見せられると、3万円が安く感じる。最初の数字が、錨(いかり)のように基準を固定してしまうのです。1
定価に横線を引いて売る手法は、これを使っています。
二つ目、得より、損を重く感じる。(パターン2)
千円もうかる喜びより、千円損する痛みのほうが、人には大きい。「今なら損しません」という言い方が効くのは、このためです。2
三つ目、見せ方で、判断が変わる。(パターン3)
「成功率9割」と「失敗率1割」は同じ事実ですが、前者のほうが選ばれやすい。中身は一円も変わらないのに、言葉の枠組みだけで印象が動きます。3
大事なのは、こうした傾向が「知っていても防げない」こと。
仕組みを理解している人でも、実際の場面では引っかかります。これは知識の問題ではなく、人間の頭の作り方そのものだからです。
ここで、鏡を自分に向ける
ここまでは、「顧客はこう見ている」という話でした。顧客の非合理を知っておこう、という話。
ですが、この連載でいちばん伝えたいのは、その先にあります。
値段を正しく見ていないのは、顧客だけではありません。値段を決める側である、私たち自身もそうなのです。
私自身を振り返っても、思い当たることがいくつもあります。
たとえば、新しい仕事の見積もりを出すとき。
ふと、前回この相手に出した金額が頭をよぎります。
「・・・前とそう変わらない数字にしておけば、角が立たないだろう。」そう考えて、そこに寄せてしまう。(パターン1)
ですが冷静に見れば、今回は手間も規模も違うかもしれない。それでも「前回の数字」に引っぱられる。
これは、最初に見た数字が基準を固定してしまう、あの錨と同じです。相手ではなく、自分がその錨に絡まれて身動きが取れなくなっているのです。
あるいは、値上げを切り出せないとき。
原価は上がっている。頭では、上げるべきだと分かっている。それでも、口に出す直前で、断られる場面が頭に浮かぶ。(パターン2)
その気まずさを避けたくて、つい今回も据え置く。
得られるはずの利益より、断られる痛みのほうを、何倍も大きく感じてしまう。これは、損を重く見積もる心理そのものです。
あるいは、長い付き合いの相手に対して。
「あの人には、昔から世話になっているから」と、理由になっていない理由で、値段を甘くする。
関係の長さと、その仕事の適正な価格は、本来まったく別の話です。それが、頭の中で勝手に結びついてしまう。
どれも、言われてみれば「そうだ」と思います。ですが、その場では気づかない。
顧客の非合理は見えても、自分の非合理は見えにくい。人間は、そういうふうにできています。私も、例外ではありません。
顧客の心理は分析するのに、自分の心理は分析しない。値決めのいちばんの死角は、そこにある。
AIを、自分を映す鏡として使う
ここで、これまでとは違うAIの使い方が出てきます。
AIを、自分の判断を映す鏡として使うのです。
やり方はこうです。
過去の見積もりや受注の記録をAIに並べ、こう尋ねます。
- 「この中で、値段の付け方に一貫性のないものはあるか」
- 「同じような条件なのに、値段が違うケースはあるか」
- 「もしあるとしたら、その差はどこから来ていそうか」
AIは、こちらの気分や付き合いを忖度しません。
「このお客さんとは長い付き合いだから」といった、こちらが無意識に効かせていた甘さを、そのまま「説明のつかない差」として指摘してくる。
耳の痛いことも、淡々と返してきます。
ここでのAIは、値段を決めてくれるわけではありません。
判断を代わってくれるのでもない。ただ、自分では見えなかった自分の癖を、映し出してくれる。
決めるのは、あくまで自分です。
そして、ここが胝心なのですが・・・この連載は、顧客の非合理を突いて高く売るための話ではありません。むしろ逆です。
人は誰しも非合理に流される。だからこそ、データと理論で、自分の軸を持つ。感情に流された値付けではなく、根拠を持って説明できる値付けへ。
それが、顧客に対しても誠実な態度になります。
自分の非合理な癖に気づいたら、次にやるべきことは決まっています。
癖を、意志の力で直そうとするのではありません。
根拠のある判断を、誰でも再現できる「型」にすること。
そのためには、まず、ベテランの頭の中にある判断を、外に取り出さなければなりません。
次回(第7回)は、この連載の山場。「ベテランの頭の中を、どうやって取り出すか」
長年の勘を、どうやって言葉にし、他の人にも使える形にするのか。
その具体的な進め方を見ていきます。