
日曜の朝、AI に音声で話しかけました。
いつも思っていることを、まとめて聞いてもらうためです。
仕事に就いていると、たいていの人は時間とともにスキルや技術が身につき、上手にこなせるようになります。
仕事に限りません。格闘技でも、美術でも、芸事でも同じです。基本的には、時間とともに高まっていきます。
ただ、高まり方は人によって違います。
なかなか伸びない人もいれば、驚くほど早く、高いところまで行く人もいます。
その違いは、何のために取り組んでいるかで分かれるように思うのです。
その種類は、おおよそ三つに分類できるようです。
- 一つ目は、「生きるため、対価のために」取り組む人。
- 二つ目は、対価の向こうにある「理想や、仕事の意義のために」取り組む人。
- 三つ目は、楽しみながら取り組む人。
一つ目の人
一つ目の人も、伸びます。ただ、ある高さで留まります。
伸びが飽和するのか、力尽きるのか。その人たちの中は、私からは見えません。外から見ていると、行動を支える内なる動機が弱くなるのだろうと、私は考えています。
対価に必要な腕前に届けば、その先を伸ばしても、得られるものはあまり増えません。
だから、伸びもそこで止まります。
もう一つ、仏教に、求不得苦(ぐふとくく)という言葉があります。求めても得られない苦しみのことです。
お金や環境、他人からの愛情のように、外にあるものを求めて取り組んでいると、この苦しみがついて回ります。
一つ目の人は、得られないことが続けば、取り組みそのものから心が離れていきます。
二つ目の人
二つ目の人も、留まることがあります。理想は、たどり着く場所です。
そのため、理想を実現すれば、進む理由がなくなります。
また、取り組みの意義や自分が信じていたものが、信じられなくなったり、疑問に思えたりしたときにも、進む理由がなくなります。
理想が高すぎて、現実と折り合いがついていない場合もあります。
理想そのものが悪いのではありません。理想は、むしろ必要なものです。折り合わないのは、理想を実現するまでの時間と力の見積もりです。
たとえば「世界平和」という理想を、自分の代で、自分一人の力で実現しようとすれば、人の寿命という現実にぶつかります。
それでも「本気で追えば、実現できる」と、疑いもせず盲目に信じていれば、現実の壁を越えられず、おのずと一定の高さで留まります。
一つ目の人にも二つ目の人にも、ある程度で満足したり、現実を知って以前より無関心になったりすることが起きます。
誰しも人間であれば、よくあることです。
一つ目と二つ目に共通しているのは、続ける理由が、取り組みそのものの外にあることです。
対価も、理想も、外にあります。理由が満たされるか、崩れるかすれば、動機も止まります。動機が、条件つきだったのです。
三つ目の人
三つ目の人は、続ける理由が取り組みの中にあります。
理念や理想のようなきれいな話はしません。趣味の延長に近いのです。
けれど楽しみ方が半端ではないので、能力の伸びが早く、吸収が早く、勘どころをつかむのが早いのです。
「楽しんでいる者には勝てない」と、標語のように言われることがあります。
その正体は、何なのでしょうか?
理想を追う人と楽しむ人は、同じ道を歩いている
二つ目と三つ目は、ずいぶん違って見えます。片方は理想を掲げ、片方はただ楽しんでいます。
けれど、どちらも道を極めようとしている点では同じです。茶道、華道、書道、剣道、柔道。何々道と呼ばれる、あの道です。
そして、道を極めるの「道」は、道楽の「道」と同じではないかと思うのです。実際、仕事を楽しんでやっている人の中には、スキルも能力も、とんでもなく高くなる人がいます。
対価のために取り組む人と、自分で道を選んで進んでいる人。その差が、到達する技術の高さと、そこに至るまでの時間の大きな差になっているのではないでしょうか。
もし何々道の道と道楽の道が同じなら、「道楽」という言葉は、もともと何を意味していたのか?
気になったので、言葉の成り立ちを AI に調べてもらいました。
「道楽」の道は、もともと仏道でした
道楽は、もとは仏教の言葉です。仏教では「どうぎょう」と読み、仏道を求めることを意味していました。「楽」は「願う」と同じ意味で、仏道を楽(ねが)う、というのが元の意味です。
そこから、仏道を修めて得られる悦びを指すようになりました。やがて趣味に熱中する楽しみへ、さらには遊びにふけることへと、意味が移っていきました。
ここで、見立てが一度揺らぎました。道楽の道は仏道です。茶道や剣道の道ではありませんでした。
仏道は、仏の教えに従って悟りを目指す修行の道です。
茶道や剣道は、技芸を極める道で、芸道と呼ばれます。
同じ「道」の字を使っていても、指しているものは別です。
では、仏道と芸道は、まったくの無縁なのでしょうか?
調べてもらうと、芸道は中世から近世にかけて形づくられ、禅の思想の影響を受けて育ったものでした。別の道ですが、無縁ではありません。
夏目漱石の講演にも、手がかりがありました。
漱石は明石での講演で、人のためにする職業を「他人本位」、自分の好きなことを貫く仕事を「自己本位」として分けました。
そして、学者や芸術家の仕事を「道楽本位」と呼び、修行に打ち込む禅僧の生き方も、極端な道楽生活と呼んでいます。芸術家と禅僧を、同じ道楽の側に置いたのです。
道楽の中身は、道を修める悦びです。その悦びは、仏道に限らず、茶道や剣道を極める人にも、同じ形で見えます。一生をかけて修め、修めること自体に悦びがあります。
仏道と芸道が通じ合うのは、字が同じだからではありません。歩み方が同じだからです。
では、海外、たとえば英語圏では、理想のために取り組むことと、それ自体を楽しんで取り組むことを、どう呼んでいるのでしょうか?
私は普段から、日本語と海外の言葉の違いや、その受け止め方に関心があります。これも AI に調べてもらいました。
英語圏では、近い考え方が二つ、別々の言葉で語られています。
一つは、社会学者ウェーバーが論じた「天職(calling)」です。世俗の仕事を、神から与えられた務めと捉える考え方です。
もう一つは、社会学者セネットが論じた「クラフトマンシップ(craftsmanship)」です。仕事そのものを、それ自体のためによく仕上げたいという欲求を指します。
日本では、茶や書や武術といった技芸を「〜道」と名づけ、技の向上と人の成長を一つの道として、中世から近世にかけて独自のかたちに体系化してきました。「道」という考え方そのものは、中国から来ています。
「芸の向上は、人格の向上でもあるべきだ」。芸道のこの考え方は、理想や意義を追う二つ目の人に近いものです。
ただ、二つ目の人が、ずっと二つ目のままとは限りません。
たとえば、最高の段位や認定を目指して、日々精進している人がいます。そのうち、日々の精進そのものから、面白さが次々と湧いてくる人が出てきます。
そういう人は、いつの間にか最高の段位に届いていても、日々の精進も切磋琢磨もやめません。二つ目から、三つ目に移っているのです。高い一点を目指していると、目指すことの意味が、少しずつ変わってくるのです。
この移り変わりは、守破離という考え方にも通じます。
私が見てきた範囲では、技を極めるとき、ほとんどの場合に出てくる考え方です。武道や茶道で語られてきました。型を守り、型を破り、やがて型から離れる。茶の湯に伝わる歌は、離れても本(もと)を忘れるな、と結んでいます。
道楽という言葉も、もとは道を願うことでした。それが、道を修める悦びへと移っていきました。言葉の移り変わりと、二つ目から三つ目への人の移り変わりが、同じ向きをしています。
英語では別々の言葉で語られる二つを、日本語は、一本の道の上の、前と後として抱えていたのかもしれません。
もう一つ、「楽しんでいる者には勝てない」と同じことを、昔の人も言っていなかったのか?
これも調べてもらうと、孔子の言葉に行き着きました。
之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず。
孔子
知っている人は、好きな人に及ばない。好きな人は、楽しんでいる人に及ばない。「楽しんでいる者には勝てない」という標語と、そのまま重なります。
面白いのは、昔の注釈です。宋の時代に朱子がまとめた注釈には、こんな解釈が引かれています。「知る者」は、道があることを知っている人。「好む者」は、好んではいるが、まだ得ていない人。「楽しむ者」は、得るところがあって、それを楽しんでいる人。
ここでいう「得る」は、成果を手に入れることではありません。朱子より前の宋の儒学者で、朱子が学んだ流れの源にいる程頤(ていい)は、好む者は熱心であっても、まだそれを自分のものにできていない、楽しむ者にとっては、それがすでに自分のものになっている、と説いています。
好む者は、まだ追いかけている。楽しむ者は、もう身についていて、その中で取り組んでいる。
楽しむとは、気楽にやることではなかったのです。
けれど、ここまでは言葉の話です。
では、実際に楽しんでいる人は、なぜ強いのか?
後編では、私がこれまで見てきた人たちと、熟達の研究から、この問いを確かめます。
記事の感想や、ご自身の現場での経験談、
「うちの職場にも、こんな人がいる」というお話、反論も、
何でもお聞かせください。
筆者:幅 美貴(Haba Yoshitaka)
北陸を拠点に、中小企業・個人事業主の DX 伴走支援を行っています。
「ツール選定」ではなく「課題」「業務」「人」から設計するDXを、
一緒に組み立てます。
参考文献(記事のために調べたもの)
- 『論語』雍也篇(原文・書き下しは「漢文の名言」kanbun.info などで確認)
- 朱熹『論語集注』雍也第六(中國哲學書電子化計劃 ctext.org で確認)
- 『朱子語類』論語十四・雍也篇三(程頤の説の確認に使用、ctext.org で確認)
- 夏目漱石「道楽と職業」『朝日講演集』朝日新聞合資会社、1911年(青空文庫で確認)
- 大谷大学「道楽」(仏教用語の解説、大谷大学ウェブサイト)
- 「芸道」(ウィキペディア日本語版)
- 「守破離とは|意味・由来・序破急との違い」(GETTA概念図鑑。由来の諸説の確認に使用)
- Stanford Encyclopedia of Philosophy, “Japanese Aesthetics”
- Bouso, R. (2018). De geidō a geijutsu.(Modernos & Contemporâneos 誌)
- 「Protestant work ethic」(ウィキペディア英語版。ウェーバーの天職の考え方の確認に使用)
- Sennett, R. (2008). The Craftsman. Yale University Press.