善意のガバナンスは、なぜ妨害工作と見分けがつかなくなるのか|連載「変わる組織、変われない組織」第4回

📖 連載「変わる組織、変われない組織」(全9回)
第1回 変革は運か、準備か
第2回 頑張る経営者ほど気づけない
第3回 眠っている問題解決能力
第4回 善意のガバナンスは、なぜ妨害工作と見分けがつかなくなるのか (この記事)
第5回 覚悟の非対称性
第6回 きれいごとが信頼を壊す
第7回 DXは変革の試金石
第8回 AI導入という最終試験(前編)
第9回 AIを根づかせる組織(後編)

ITC「ある国の諜報機関が、敵国の組織を内部から麻痺させるマニュアルを作りました」

ITC「そこに書かれた“妨害の手口”が、いまの私たちの会社で“きちんとした管理”として毎日行われていることと、見分けがつかないとしたら——どう思いますか」

前回、幹部社員はなぜ「失敗を恐れ、無難にやり過ごす」ようになるのか、という問いを残した。その答えは、個人の性格ではなく、組織の仕組みの側にある。今回はその仕組み——本連載の背骨となる概念、「善意のガバナンス」を取り上げる。

ここで言うガバナンスとは、難しい話ではない。要するに、社内のルールとチェックの仕組みのことだ。品質を守るための手順、不正を防ぐための承認、ミスをなくすための確認。どれも、まっとうな目的から生まれている。だからこそ、これを「善意のガバナンス」と呼びたい。

1944年の妨害マニュアル

第二次世界大戦中の1944年、アメリカの諜報機関OSS(戦略事務局・CIAの前身)が、ある文書を作成した。『シンプル・サボタージュ・フィールド・マニュアル』。占領下の市民が、特別な道具も訓練もなしに、敵国の組織を内部から弱体化させるための手引きだ。この文書は2008年にCIAによって機密解除され、いまは誰でも読める。

その中に「組織と生産に対する一般的妨害」という章がある。爆破でも破壊でもない。ごく普通の事務作業や会議の中で、組織の動きを静かに止めていく方法が並んでいる。要点を、現代の言葉で噛み砕くとこうだ。

― OSSが示した「組織を麻痺させる」手口(要約)―
・何事も必ず「正規のルート」を通させ、決定を早める近道を一切認めない
・できるだけ多くの案件を委員会に回し、「さらに検討を」と求める。委員会は大人数にする
・無関係な論点を、できるだけ頻繁に持ち出す
・文書や議事録の文言の細部にこだわり、議論を長引かせる
・会議ではできるだけ頻繁に、できるだけ長く発言し、長い体験談で「論点」を例証する

さて、ここで問いたい。これらを読んで、どこかで見覚えはないだろうか。

これは敵を麻痺させるための妨害指示だ。にもかかわらず、私たちの会社で「きちんとした管理」「丁寧な進め方」として日々行われていることと、ほとんど見分けがつかない。すべてを承認ルートに乗せ、何でも会議にかけ、文言を細かく詰め、長い議論を重ねる。良かれと思ってやっているそれが、設計上は組織を止めるための手口と一致してしまう。

ある論者はこう言っている。組織を破壊する最も確実な方法は、それをより官僚的にすることだ、と。妨害工作員のための手引きが、いつのまにか現代企業の運用マニュアルになってしまった——これは笑い話では済まない皮肉だ。

善意は、なぜ暴走するのか

誤解しないでほしい。統制そのものが悪いわけではない。品質を守る、不正を防ぐ、リスクを管理する。これらは経営にとって不可欠だ。問題は、その方向に「頑張り」が過剰に注がれたときに起きる。

第2回で見た「頑張る経営者」を思い出してほしい。そのエネルギーが、ガバナンス強化という“正しい方向”に向かうと何が起きるか。最初は小さなルールだった。ミスが出れば、再発防止のチェックを足す。問題が起きれば、承認の段階を増やす。一つひとつは正しい対応だ。

だが、それが積み重なると、いつしかルールを守ること自体が目的になる。チェックすること、指摘することが仕事になる。本来は「良い仕事をするため」の手段だったはずの仕組みが、目的にすり替わる。

こうなった組織では、現場は萎縮する。新しいことに挑戦して指摘されるくらいなら、何もしないほうが安全だ。「指摘されないこと」が、いつの間にか最優先事項になる。挑戦より無難、改善より現状維持。組織は静かに硬直していく。

これは、JTC——日本の伝統的大企業がしばしば揶揄されるかたちで通ってきた道だ。そして恐ろしいのは、成長していく中小企業も、規模が大きくなる過程でまったく同じ轍を踏むことだ。ガバナンスは本来、安心して挑戦するための土台であるべきなのに、いつのまにか挑戦させないための仕組みに転化する。これが「善意のガバナンス」の逆説だ。

ガバナンスは本来、安心して挑戦するための土台
それが暴走すると、挑戦させないための仕組みに転化する。善意が、組織を内側から止める。

「動けない幹部」の正体

ここで、前回の問いに答えが出る。なぜ幹部は失敗を恐れ、無難にやり過ごすのか。彼らが臆病だからではない。善意のガバナンスが、挑戦を罰しリスク回避を奨励する仕組みへと、いつのまにか姿を変えていたからだ。

そういう仕組みの中では、黙っていることが最も合理的になる。提案して、承認ルートを通し、会議で文言を詰められ、もし失敗すれば指摘される。それなら最初から動かないほうがいい。幹部の「動けなさ」は、本人の問題ではなく、組織が設計してしまった当然の帰結なのだ。

つまり、第2回の「気づけない経営者」と第3回の「動けない幹部」は、この第4回でひとつにつながる。気づけない経営者の善意とエネルギーが、ガバナンスという正しい方向に過剰に注がれた結果、幹部が動けない組織が出来上がる。善意のガバナンスは、その接続点に立っている。

では、硬直した組織は、何を失っていくのか。最も深いところで失われるのは「覚悟」だ。挑戦が罰せられる場所では、誰も覚悟を持とうとしなくなる。次回は、その覚悟をめぐる、経営者と社員のあいだの決定的な非対称について語りたい。


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