※ 本作は著者の実体験をベースに、一部演出や脩色を加えて構成した物語です。
正しくすること。それは、できる。
情報がつながっていないなら、つなげばいい。値上げの案内を、発注と経理に届く形にすればいい。単価を、正しい値に直せばいい。それは、手を動かせば、できることでした。
けれど、私が本当に恐れていたのは、その先でした。
直したそばから、また腐る。正しくした単価が、半年後、一年後には、また古くなっている。そのころ私は、たぶん、別の仕事に手を取られている。誰も見ていない単価は、静かに、また嘘をつきはじめる。
「正しくする」ではなく、「正しくあり続ける」。その仕組みを作らないかぎり、この戦いに、終わりはない。そのことに気づいた夜の話を、書きます。
── 深夜の事務所、マスター画面 ──
その夜、私は、誰もいなくなった事務所で、単価マスターの画面を開いていた。
蛍光灯を半分だけ点けた事務所は、しんとしていた。パソコンの画面の光だけが、私の顔を、青白く照らしている。表計算に近い、素っ気ない画面に、品番と、単価が、ずらりと並んでいた。
一行ずつ、見ていった。
そして、気づいた。古い単価が、平然と、生きていた。何年も前に、誰かが登録したまま、一度も見直された気配のない値が、いくつもあった。登録した人は、もう、この会社にいないかもしれない。それでも、その値は、今日も、しれっと計算に使われていた。
背筋が、冷えた。
この単価たちは、正しいのか。正しくないのか。それを見ただけでは、判断できなかった。画面には、単価は書いてある。けれど、その単価が「いつの時点で正しかったのか」は、どこにも書いていない。去年確かめた値なのか、五年前の値なのか、区別が、つかない。
つまり、この画面のどの数字も、信用していいのか、悪いのか、分からなかったのです。
私は、缶コーヒーを一本、机に置いて、しばらく画面を見ていた。
「直す」だけでは、駄目だ。いま全部の単価を正しく直したとしても、この画面は、来年にはまた、同じ状態になる。新しい単価と、古びた単価が、見た目はまったく同じ顔をして、並ぶ。どれが腐っているか、誰にも分からないまま。
数えれば直る在庫とは、やはり、違う。在庫は、その日数えれば、その日の答えが出た。けれど、単価は、一度直しても、時間とともに、また狂っていく。相手は、過去だけではなかった。未来も、また、敵だったのです。
では、どうするか。
私は、その夜、一つの、単純な考えにたどり着きました。
── 発想 ──
正しい単価と、いっしょに、「いつ・誰が、それを確かめたか」を、刻む。
それだけのことでした。単価の隣に、確認した日付と、確認した人の名前を、必ず持たせる。値上げの案内を反映したら、その日付を入れる。仕入先に問い合わせて確かめたら、その日を入れる。
そうすれば、画面を見ただけで、分かる。この単価は、先月確かめた。信用していい。この単価は、三年前から、誰も確かめていない。あやしい。確認日の入っていない単価は、「まだ信用できない」と、一目で、見分けがつく。
私は、正しさそのものを、管理しようとするのを、やめたのです。
正しさは、時間とともに腐る。どれだけ完璧に直しても、いつかは古くなる。ならば、管理すべきは、正しさそのものではなく、正しさの「鮮度」だ。いつ確かめたか。それが新しいか、古いか。その一点だけを見えるようにすれば、腐りかけの単価を、腐りきる前に、拾い出せる。
在庫を直したときも、実は、同じでした。あのとき私が作ったのは、正しい在庫数そのものではなく、「月末に、必ず数える」というルールでした。正しさは一度きりでは保てない。だから、確かめ続ける仕掛けを埋め込む。——在庫で身体が覚えていたことを、私は、単価の世界に、もう一度、翻訳しなおしたのだと思います。
確認日の入った単価が、少しずつ、増えていった。値上げの案内を反映するたび、日付を刻む。升方さんにも、発注のメモに、単価と日付を書いてもらうよう頼んだ。渋られるかと思ったが、升方さんは「まあ、これも電話のついでや」と、あっさり受け入れてくれた。
数字も、動きはじめた。
以前は、単価の突合に、月末の何日かが、まるごと消えていた。それが、確認日を頼りに「新しい単価だけ信じ、古い単価だけ見直す」やり方にしてから、突合の時間は、目に見えて減った。確認日の入った単価の割合が、一割、三割、半分、と増えていく。その割合が増えるほど、柿谷さんが「たぶん」で押す判は、減っていった。
けれど、この仕組みには、まだ、足りないものがありました。
確認日を刻むのは、いい。だが、誰が刻むのか。私が一人で刻んでいるうちは、私が抜けたら、また止まる。この仕組みは、私だけのものであっては、いけなかったのです。
── 常務に、見せる ──
私は、確認日つきの単価マスターを、柴田常務に見せることにした。
会議室で、画面を開く。常務は、腕を組んで、しばらく黙って見ていた。あの夕方、「早く横に展開しろ」と言って、少し苛立って帰っていった、あの常務だった。
私は、説明した。単価そのものを直すだけでは、また腐る。だから、いつ・誰が確かめたかを、単価に持たせた。確認日の古い単価は、あやしい単価として、拾い出せる。正しさではなく、正しさの鮮度を、管理するのだ、と。
常務は、画面に顔を近づけて、確認日の欄を、指でなぞった。
しばらく、何も言わなかった。それから、ぽつりと、言った。
「……これなら、俺が確認した日も、入るんだな」
私は、その一言の意味を、飲み込むのに、少しかかりました。
常務は、確認する側に、自分を数えていた。急がせた本人が、この仕組みの「確認者」の一人として、自分の名前と日付を、ここに刻むと言っている。あのとき平行線だった議論が、いつのまにか、同じ画面を、二人で覗き込む時間に変わっていた。
「入ります」と、私は言った。「常務が確かめた単価は、常務の確認日で、いちばん信用の置ける単価になります」
常務は、ふっと笑った。
「じゃあ、俺の名前が入ってる単価は、あんたも文句言えないな」
「言えません」
久しぶりに、二人で、少し笑った。
第一部で、私はこの人と、夜の倉庫で、平行線の議論をしました。第二部でも、一度、ぶつかりました。けれど、その二度の衝突があったからこそ、この画面を、二人で覗き込めているのだと思います。信頼は、ぶつかった後にこそ、強くなる。この人と歩いてきて、私が学んだことの、一つです。
対立が、共同作業に、変わった瞬間でした。
単価は、守れるようになった。確認日という仕掛けが、正しさの鮮度を、見張ってくれる。私が一人で見張らなくても、確認した日付が、代わりに見張ってくれる。
けれど、月末の突合は、まだ、完全には楽になっていませんでした。
単価が正しくても、突き合わせる相手の「紙」そのものが、行方不明になることがある。届いたはずの納品書が、請求書と照らそうとすると、どこにも、見当たらない。
最後に残ったのは、情報の中身ではなく、情報を載せた「紙」が、消えていくという問題でした。
(第11話へつづく)