「この見積り、いくらで出す?」
「うーん……前回が確かこのくらいだったから、まあ、これくらいで」
——多くの現場で、値段はこうして決まっていきます。根拠を問われても、はっきりとは答えられない。それでも、なんとなく決まってしまう。
値段を決めるとき、私たちは何を見ているのか
見積書を前に、少し手が止まった。そんな経験はないでしょうか。
この連載では、各回の始まりに、ある小さな会社の一場面を置くことにします。登場するのは二人。長年、値段を勘で決めてきた社長と、最近その値決めを任されはじめた若手社員です。冒頭のやりとりも、この二人のもの。あなたの会社にも、きっと似た二人がいるはずです。
高く出せば失注が怖い。安く出せば、あとで自分の首を絞める。だから「前回と同じくらい」「相場から大きく外れない範囲で」と、無難な着地に落ち着く。決して間違ってはいません。ただ、その判断の根拠を言葉にできるかと問われると、多くの人が詰まってしまうのです。
これは、値決めが下手だという話ではありません。値決めという仕事が、そもそも難しい。そういう話です。
この連載では、どの会社にも必ずある「値決め」という仕事を、AIでどう見直せるか、全10回にわたって考えていきます。序にあたる今回、答えたい問いは二つ。なぜ、数あるテーマの中で「値決め」なのか。そして、なぜ「今」なのか。
なぜ「値決め」から始めるのか
理由は単純です。値決めは、どんな商売にも必ず発生する。しかも、利益への効き方が最も速いのです。
コストを一つ削るのは、骨が折れます。仕入れを見直し、工程を組み替え、時に人の手を動かす。効果が出るまで、時間もかかる。ところが、値段は違います。これまで100で売っていたものが、101で売れたとしましょう。その1は、まるごと利益に乗ります。原価は、一円も増えていないのですから。
もちろん、そう簡単に上げられれば苦労はありません。ここで言いたいのは「値上げしろ」ではないのです。値決めという行為が、経営にとってそれだけ大きなレバーだ——ということ。業務を効率化してコストを下げる「守りのDX」は、よく語られます。けれど値決めは、攻めのDXになりうる。にもかかわらず、多くの現場で、ここは「勘」と「慣れ」に委ねられたままです。
値決めは経営である。
——稲盛和夫『稲盛和夫の実学』(日本経済新聞社)
京セラを創業し、KDDIを育て、JALを再建した、稲盛和夫氏の言葉です。稲盛氏は説きました。値決めを営業担当に任せきりにせず、経営者自身が判断すべき仕事だ、と。値段の付け方には、その経営者の考えが、そのまま表れる。
これほど日々くり返され、これほど言語化されていない仕事も、珍しいものです。だからこそ、この連載の最初に扱うにふさわしい。そう考えました。
なぜ「今」なのか ── 昔からある問題が、なぜ解けるようになったのか
値決めのノウハウが、特定の人の頭の中にある。この問題は、今に始まったことではありません。ベテランが辞めれば、その人の勘も、一緒に会社を去っていく。誰もが感じてきた、古くて新しい課題です。
では、なぜこれまで解けなかったのか。「頭の中にあるものを、言葉にする」——この作業が、あまりに重かったからです。
ベテランに「どうやって値段を決めているんですか」と尋ねても、返ってくるのは「まあ、経験ですよ」の一言。本人にも、自分が何を見て判断しているのか、はっきりとは分かっていないのです。それを一つひとつ問いで掘り起こし、整理し、他の人にも使える形にまとめる。この作業には、膨大な手間がかかります。だから、大事だと分かっていても、誰も手をつけてこなかった。
ここに、変化が起きました。
AIとの対話が、この「言葉にする」作業の重さを、大きく下げたのです。頭の中を掘り起こす聞き役として。散らかった情報を整理する係として。AIは、根気よく付き合ってくれます。人間相手なら気がひける「なぜ?」の問い返しも、AIには何度でも投げられる。長く重かった暗黙知の外部化が、ようやく現実的な作業になりました。
つまり、この連載が扱うのは「AIに値段を決めさせる」話ではありません。人が積み重ねてきた判断を、AIの力を借りて外に取り出し、誰もが使える形にしていく。そういう話です。主役は、あくまで人のほうにあります。
この連載の歩き方
全10回は、大きく四つの段階で進んでいきます。
はじめに、なぜ値段が「なんとなく」で決まってしまうのか、その構造を見ます。次に、原価・相場・顧客の支払い意思といった、値決めを構成する要素を、一つずつ掘り下げていく。ここまでは、顧客や市場をどう読むか、という外向きの話です。
そして連載の中ほどで、視点が一度、反転します。値段を「正しく」見ていないのは、顧客だけではありません。売り手である自分自身も、思っている以上に非合理な判断をしている。行動経済学の知見を手がかりに、その事実と向き合う回を置きました。
そこから後半は、解決へ向かいます。ベテランの頭の中を、どう取り出すか。取り出した判断を、どうすれば誰でも同じ品質で使える「型」にできるか。そして最後に、AIに任せてよい部分と、人が守るべき一線はどこか。それを見きわめます。
この連載を通して、AIの関わり方は、少しずつ変わっていきます。前半では、聞き出し、整理する。中盤では、気づかせ、言葉にする。後半では、型を生み出す。そして最後には、静かに退場する。値決めを見直すのはAIではなく、あくまで人だからです。デジタルは、その判断を助けるための、手段にすぎません。

次回(第1回)は、「なぜ、値段は『なんとなく』で決まってしまうのか」。見えている値段の下に、何が沈んでいるのか。値決めが勘に見えてしまう、その構造から見ていきます。