ここまで、AIに触れない経営者と、飛びつきすぎる経営者を見てきました。
今回は、その間にいる三つ目のタイプを加えて、三者を分けるものは何かを考えます。
先に断っておくと、今回はまだ「仮説」までです。
私なりに整理した見立てを出しますが、それが本当に正しいのかは、次回、実際の事例にぶつけて検証します。
きれいにまとまった結論をそのまま信じるのは、私はあまり好きではないのです。
まずは仮説を立てるところまで、お付き合いください。
三つ目のタイプ ── 静かに使いこなす人
触れない人と飛びつく人の間に、もう一つのタイプがいます。派手ではないけれど、AIをちゃんと道具として使いこなしている経営者です。
このタイプの人は、不思議と落ち着いています。
「AIで何でもできる」とも言わないし、「うちには関係ない」とも言わない。「ここには効く、でもここは人がやる」という線引きが、最初からできている。
だから期待が膨らみすぎることも、頭から拒否することもない。
三つのタイプを並べてみると、こうなります。
- 距離を取る人は、期待が低く、関与もしない。
- 飛びつく人は、期待が過大で、関与の仕方が性急。
- そして使いこなす人は、期待が現実的で、自分が当事者として関わっている。
同じ「分からない」が、正反対の距離を生む
面白いのは、この三者の違いが、必ずしも知識量では説明できないことです。
たとえば「AIのことがよく分からない」という同じ状態が、人によって正反対の反応を生みます。
距離を取る人にとって、分からないものは「怖いもの」です。だから遠ざける。
一方、飛びつく人にとって、分からないものは「万能なもの」に見える。だから過剰な期待を寄せる。
同じ無知が、かたや恐怖に、かたや幻想に変わるのです。
使いこなす人だけが、分からない部分を「分からない」と認めた上で、得意と不得意を切り分けようとする。
この違いは、頭の良し悪しでも、ITに詳しいかどうかでもなさそうです。
では、何が三者を分けているのか。
仮説 ── 二つの軸で分かれるのではないか
ここからが私の仮説です。三者を分けているのは、二つの軸ではないかと考えました。
一つ目の軸は、「解くべき課題が、先にあるかどうか」。使いこなす人は、AIの前に課題があります。「この業務のここが非効率だ」という具体的な困りごとが先にあって、その手段としてAIを選んでいる。
一方、距離を取る人は課題が曖昧なまま動けず、飛びつく人は課題よりも先に「AI導入」が目的になっている。
二つ目の軸は、「失敗を、学習に変えられるかどうか」です。
使いこなす人は、うまくいかなかったとき、それを「次の試行のためのデータ」と捉えます。だから一度の失敗で諸めたりしません。
しかし、距離を取る人は失敗を恐れて着手せず、また、飛びつく人は失敗した瞬間に一気に幻滅して撤退します。
これらの特性から考えた結果、以下の仮説が立ちましてた。
仮説
1..何らかの課題を感じてしている
2.失敗を学習に変える姿勢を取れる。
この二つが、距離の取り方を決めているのではないか?
この仮説は、本当に正しいのか
……と、ここまで書いておいて何ですが、私はこの整理に少し警戒しています。
なぜなら、あまりにきれいにまとまっているからです。
「課題が先にあって、失敗を学習に変えられる人が成功する」。これは、言われてみればその通りに聞こえます。
でも、その通りに聞こえる整理ほど、危ういものはありません。
具体的な事例で確かめないと、「それっぽいだけ」の話で終わってしまうことは多々あるのです。理屈だけの、いわゆる机上の空論です。
特に私が気になっているのは、この二軸で「説明できない失敗」があるのではないか、という点です。
課題もはっきりしていて、学習する姿勢もある。それなのに失敗する。そういうケースがもしあるなら、二軸では足りないことになります。
第3話のまとめ
三つのタイプによる 違い、
1.距離を取る、2.飛びつく、3.使いこなす のそれぞれのタイプで結果が異なるのは「課題が先にあるか」と「失敗を学習に変えられるか」の二つの軸ではないか。これが今回の仮説です。
でも、この仮説はまだ検証されていません。
次回は、実際に公開されているAI導入の事例 、成功したものも、失敗したものを集めて、この二軸が本当に成り立つのかを確かめます。
結論を先に言ってしまうと、私のこの仮説は、ある一つの事例の前であっけなく綻びます。
そこから何が見えてきたのか。次回が、この連載のいちばんの山場です。