半年かけて、私は一つの結論にたどり着きました。
在庫が合わない理由の、最後のひとかけら。それは、拍子抜けするほど単純なことでした。
数える日が、決まっていなかったのです。
順を追って説明します。
これまで現場は、棚卸しを「手の空いたとき」にやっていました。忙しければ後回し、暇ができたら数える。月の頭に数える人もいれば、月末ぎりぎりの人もいる。人によって、日によって、バラバラでした。
一見、些細なことに思えます。いつ数えたって、物の数は同じだろう、と。
けれど、違うのです。
在庫は、生き物のように、毎日動いています。材料が入ってくれば増える。使えば減る。だから「いつ数えたか」がずれれば、数える数も当然ずれる。月初に数えた在庫と、月末に数えた在庫は、そもそも別の瞬間の姿です。
そして、業務システムの記録は、月末で締められていました。
つまり——システムは月末の姿を記録し、現場はバラバラの日の姿を数えていた。この二つを突き合わせて、合うはずがありません。最初から、比べる時点がずれていたのです。
(……なんてことだ。ずっと、違う日のものを比べていたのか)
半年、夜な夜な数えて、ようやくそこに行き着いた。原因は、数える技術でも、人の注意力でもなかった。数える日を、誰も決めていなかった。ただ、それだけ。
なぜ、誰も決めなかったのか。
これも、悪意の話ではありませんでした。
生産管理は、現場に気を遣っていたのです。「月末に数えてくれ」と言えば、忙しい月末に、現場へ余計な負担を強いることになる。だから言えなかった。言わないことが、現場への思いやりだと思われていた。
その気遣いが、めぐりめぐって、データ全体の信頼性を崩していた。
やさしさが、仕組みを壊す。皮肉な話です。けれど、こういうことは、現場では珍しくありません。誰かを気遣った小さな遠慮が、積もり積もって、大きな狂いになる。
ルールが、なかったのではありません。ルールを決めて、守ってもらう、という当たり前が、なかっただけでした。
決めるべきことを、決める。ただ、それだけのことが、この会社では、長いあいだ避けられてきたのです。
やることは、はっきりしました。
「棚卸しは、必ず月末に行う」。
たった、これだけ。紙に書けば一行で済むルールです。
けれど、この一行を現場に飲んでもらうことが、半年間の夜業よりも、ずっと難しい仕事でした。
なぜなら、それを頃む相手は、あの仲田さんだったからです。
覚えているでしょうか。初日に私へ「生産管理は現場に奉仕する役割だ」と釘を刺した、あの現場の長です。
半年が過ぎても、仲田さんの私を見る目は、あまり変わっていませんでした。夜に一人で何かをやっている変わり者。その評価のまま、遠巻きにされていました。
その仲田さんに、「現場の数え方を変えてくれ」と頃む。
ここで、私は迷いました。
正面から「月末に数えるのが正しいんです」と正論を突きつける手も、ありました。理屈では、私が正しい。データがそれを証明しています。
けれど、と思い直しました。
正論で、仲田さんは動くだろうか。
動かない、と思いました。
いや、正確には——正論で頭ごなしに来られたら、仲田さんは、むしろ意地でも動かないだろう、と。
仲田さんには、仲田さんの立場がありました。長年、この現場を仕切ってきた誇りがある。そこへ、ぽっと出の新入りが「あなたたちのやり方は間違っている」と正しさを振りかざせば、どうなるか。仲田さんが守ってきたものを、真っ向から否定することになる。人は、自分の立ち位置を否定されると、正しさよりも、面子を取ります。
これは、仲田さんが頑固だから、ではありません。誰だってそうです。私だって、そうです。
だから私は、正論を、引っ込めました。
代わりに選んだのは、仲田さんを立てる、という道でした。
── 昼休み、缶コーヒーを手に ──
昼休みの、現場の片隔。旋盤が止まり、油の匂いだけが残る時間だった。私は、缶コーヒーを二つ買って、その一つを仲田さんに差し出した。
「仲田さん、折り入って、相談があるんですが」
仲田さんは、缶を受け取りながら、少し警戒する顔をした。この新入りが、何を言い出すのか。身構えたのが、分かった。
「棚卸しの数字が、どうしてもシステムと合わないんです。私なりに、半年ばかり調べてみたんですが」
私は、言葉を選びました。
「どうやら、数える日がバラバラなのが、原因らしくて。もし可能なら、月末に揃えて数えていただくことは、できないでしょうか」
指示ではありません。命令でもありません。
私が困っている。その困りごとを解くために、あなたの力を貸してほしい。そういう、頃み方をしました。
嘘をついたわけではありません。実際、困っていたのは事実です。ただ、その困りごとを、「あなたのやり方が悪い」ではなく、「私に力を貸してほしい」という形に、翻訳して差し出した。それだけのことです。
仲田さんは、缶コーヒーを一口すすって、少し、意外そうな顔をした。
たぶん、身構えていたのだと思います。この新入りが、いつか自分たちのやり方に、正しさを振りかざして踏み込んでくる。そう警戒していた。ところが、来たのは「お願い」でした。頭を下げて、力を貸してくれ、と言ってきた。
「……月末に、揃えりゃいいんだな」
仲田さんは、ぶっきらぼうに、そう言った。
私は、頭を下げた。
「はい。それだけで、助かります」
拍子抜けするほど、あっさりと、話は通った。
いま振り返れば、仲田さんは、頼られること自体を、まんざらでもなく思ったのかもしれません。長く現場を頸かってきた人です。その経験と立場に、きちんと敏意を払って頃めば、応えてくれる度量は、はじめからあったのです。
私が最初、仲田さんを「壁」だと感じていたのは、私自身が、仲田さんを立てる頃み方を、知らなかっただけでした。
── 迎えた、月末 ──
その月末。
私は、現場の棚卸しに立ち会った。若手の石金さんが、伝票を片手に、決められた棚を順に数えていく。以前のような「手の空いたときに、なんとなく」ではない。月末のこの日、決められた手順で、決められた場所を数える。
「これ、前は適当でよかったんすけどね」
石金さんが、数えながら、ぽつりと言った。嫌味ではなく、ただ素直な感想のようだった。
「今は、日にちが決まってるから、なんか……ちゃんとやってる感じ、しますね」
その一言が、私には、小さな手応えだった。
こうして、「棚卸しは月末に」という一行が、現場に根づきました。
小さな、小さな一歩です。けれど、この一歩には、確かな手応えがありました。半年かけて置き方を整え、数える対象を定め、最後に数える日を揃えた。これで、ようやく、現場の数字とシステムの数字が、同じ土俵に乗る。
比べられる。ずれていれば、気づける。気づければ、直せる。
長いあいだ「数字を書くだけ」だった棚卸しが、ようやく、本来の意味を取り戻しはじめたのです。
そして、私はまだ知りませんでした。この小さな一歩が、やがて現場全体の空気を、思いがけない形で変えていくことを。
(第5話へつづく)
この物語は、実話をもとにしたフィクションです。